こどもの日
5/5/2023
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先輩ママ・パパから
SMAっ子ママエピソード
先輩ママより診断・治療に至るまで、また当時の思いをお聞きしました。
※エピソードはあくまで個人の体験・所感です。
~経過観察が続き不安な日々~
「あれ。何かがおかしい」息子の様子に違和感を覚えたのは生後3.4ヶ月の頃でした。
その頃支援センターに毎週通っていたので月齢が近い赤ちゃん達と遊んでいました。周りの子は元気よく足をバタバタ、踏ん張っていましたが、息子は踏ん張ることが出来ませんでした。
当時別の症状で1ヶ月検診から総合病院へ定期受診していたので、すぐに様子がおかしいことを担当医へ伝えました。
しかし、発達は個人差があるからと“経過観察”が続きました。
生後5ヶ月、6ヶ月…と周りの赤ちゃんが寝返り・ハイハイ・お座りと順調に発達していく中、息子はうつ伏せで顔を上げることすら出来ず…月日が経つにつれてすわっていた首も柔らかく支えなければならない状態になっていきました。
その様子を見てやっとおかしいと専門病院へ紹介されました。専門病院へ受診してからは1ヶ月で診断がつき、それから1週間で治療を開始出来ました。
おかしいと違和感を覚えてから診断までは8ヶ月も要し、息子は11ケ月になっていました。
当時を振り返り、“おかしい”と思い始めてから担当医へもっと強く専門医へ紹介してほしい事と伝えればよかった。紹介状なしでも専門施設へ飛び込めばよかった。1日でも早く診断・治療が始められたかもしれない。と悔やまない日はありません。
“経過観察”はSMAにとって、とても恐ろしいことです。
私のような思いをしてほしくありません。
悩んでいるママ・パパには1日でも早く専門病院へ駈け込んでほしいです。
私の娘は1ヵ月健診の時に手足の動きが弱いと指摘され、都立病院で診察検査入院を経て生後1ヵ月半でSMAと診断されました。
治療開始したのはその2週間ほど後の生後2ヶ月で、スピンラザを打ちました。
1ヵ月健診で指摘を受けた時は夫婦でとても動揺した事を今でも忘れません。幸いにも娘はすぐにSMAを疑われ、検査から診断まで最短の道を通り治療を始めることができました。今振り返ると1ヵ月健診の指摘から1ヵ月後に治療を開始できた事は本当に幸運でした。
当時は新薬のゾルゲンスマが承認目前でしたので、それまではスピンラザを打ち、病院とは並行してゾルゲンスマを打てるように準備していきました。スピンラザを4回打った後、生後6か月でゾルゲンスマを投与しました。投与当日、SMAという病気と同時に知ったゾルゲンスマという新薬を心待ちにしていた私たち家族にとってはとてもうれしい日だったのと同時に、付き添っている私には少し大変な入院生活にもなりました。投与自体は1時間ほどで問題なく終わりましたが、毎日飲まなければならない副作用を抑える薬は苦く、1日に何度も吐き戻したり、ミルクの飲みも悪くなり、なんでだろう、大丈夫かなと薬やミルクの飲ませ方を試行錯誤する日々でした。しかし、10日目の退院時にはそれにもすっかり慣れ、家に帰っても大丈夫、やっていけると安心して退院できたのは先生や看護師さんのサポートが大きかったと思います。入院中は疑問に思ったことを何でも聞いていました。皆さん親身になって答えてくれてありがたかったです。
進行性の病気であるSMAでは、早期発見、早期治療がいかに大切か今はとてもよくわかります。
治療薬ができた今、早く異変に気が付いて声を上げて行動して欲しいです。
~検診での指摘から診断、
そして治療へ~
私の息子は、1ヶ月で脊髄性筋萎縮症と診断されました。
診断前、ネットで情報収集をしていた頃にSMA家族の会の存在を知りました。
家族の会HPのスピ ンラザ治療体験談や、製薬会社の作成したSMA患者向けHPの
患者家族の声を何度も何度も読むことが、当時の心の支えになっていました。
呼吸器をつけながらも元気に過ごし、ご家族と笑顔で 映る写真に、
本当にたくさんの勇気をもらいました。
しかし診断後は、同じSMAの仲間と繋がりたい気持ちを持ちながらも、入会を躊躇していまし た。 健常児と比べて落ち込むことは無かったのですが、同じSMAのⅡ型Ⅲ型の子達と比べて落ち込ん でしまう気がして…。同じ病気なのに、重症度が違う…どうして、なんで、うちの子はⅠ型なん だ…という負の感情に襲われてしまうのが怖くて、一歩踏み出せずにいました。 そんな気持ちに変化があったのは、生後8ヶ月のときでした。肺炎をおこし、気管切開の選択をし ました。迷いは無かったけれど、大きな選択でした。 手術を終えて帰ってきた息子を見て、どんな状態でも息子は息子だ。頑張って生きている息子を、誰とも比べる必要などないのだと気が付きました。家族の会に入会しようと、決心するきっ かけとなりました。が、退院後とても元気で通所やリハビリに忙しく過ごしており、入会は後回 しになっていました。 気切の手術から1年経った頃、ゾルゲンスマの承認が遅れていて私はとても焦っていました。2歳のお誕生日が迫っていたからです。 何もできずに2歳を過ぎてゾルゲンスマを受けられないかもしれない。自分にも何かできることは ないのか、何もできず待っているだけでは後悔しか残らない。と、とても焦っていました。そんな時、家族の会の会長さんから、厚労省に陳情に行かないかとお声をかけていただき、行きたいと即答しました。そのため家族の会に入会するに至りました。 家族の会に入ることで、息子はもちろん、これから生まれてくるSMAの子どもたちのためにと活 動することができています。
仲間がいるという心強さはもちろん、
自分にもできることがあるというのは、今の私には大きな心の支えになっています。